カメラと向き合う:写真撮影がうつ病と私の生活に与えた影響
みたらい渓谷

私が写真を撮り始めた理由は、多くの人とは異なるかもしれません。2007年の秋から2009年の春まで、約1年半にわたり、大量の処方箋薬の減薬のため、ほぼ半分寝たきりの状態が続きました。2009年の春になり、減薬が一段落し、次のステップへ進むべく準備が整っていました。

 

その次のステップとは、行動認知療法でした。診察でも行われますが、日常生活の中で自分自身が実施することも多くありました。この時点で私の体力は大幅に低下しており、一緒に出かける友人もいませんでした。また、うつ病になる前からの友人には、その時点の自分を見られたくないという気持ちもありました。そのため、積極的に友人と連絡を取ることはありませんでした。

 

2009年の秋頃、誰かがカメラが欲しいという話をしていました。私は、カメラを持って出かけ、写真を撮ることが一人でもできる自然な行動認知療法になるのではないかと感じました。そこで、エントリーモデルの一眼レフカメラを購入しました。

 

しかし、これには大きな矛盾がありました。うつ病になって以来、自分が写真に撮られることが非常に苦痛でした。自分の顔を鏡で見ることすら嫌で、歩いていてビルのガラスに映る自分の姿も嫌でした。さらに、かつての友人に自分の姿を見られることも嫌で、友人からの披露宴やその二次会の誘いもすべて断っていました。

 

そんな私が写真を撮ろうと考えたのは、一見すると不思議なことかもしれません。私の目的は行動認知療法にありました。観光地やハイキングコースに出かけて花や風景の写真を撮るようになりました。写真を撮り始めた当初は、ひまわりやチューリップぐらいしか認識できなかったのですが、今では多くの花植物の名前を覚えました。

 

他人の写真を撮ることが苦手な私は、自分の中に大きな矛盾を感じました。また、体調や自信の問題から、写真に限らず、約束をすることもまだできません。

 

自分が写真に撮られるのが苦手でも、一人でしか出かけられなくても、全てが悪いわけではありません。まず一つ、自分一人だけで完結できることは価値あることだと思います。写真を撮り始めてからもう13年ほどになりますが、最初の頃は特に認知行動療法に役立っていました。写真を始めなければ、何をしてよいのか見つけられなかったかもしれません。カメラを持って外に出かけ、歩き、写真を撮る。それは毎日の記録でもあり、文字にしなくても、自分の撮った写真を見れば、私がその時何をしていたか、どんな気持ちだったかを思い出すことができます。

 

もう一つ、私が写真を撮ることを選んだ理由は、新しい視点を見つけることができるからです。写真を撮ることで、自分が感じていること、見ていることを他人と共有できます。また、カメラを通して見る世界は、自分の目で見るのとは異なり、自分の感情や思考を少しだけ一旦置いて見ることができます。

 

今日でも、私はカメラを持って出かけ、日常生活の中で見つけた美しいものを撮影しています。写真は私の記録であり、自分がどこにいて何を感じていたかを思い出す道具でもあります。そして、それらの写真を通じて、他人にも自分の視点を共有することができます。うつ病という苦しみから、自分なりの癒しと表現方法を見つけることができたのです。

 

この経験から、私は自己表現とクリエイティブな活動が、精神的健康にとって重要であることを学びました。人々が自分の経験や感情を理解し、表現する方法を見つけることは、ストレスや苦しみを乗り越える手助けとなります。

 

私が写真を撮り始めた理由は、他人とは異なるかもしれません。しかし、その経験が私にとってとても価値があったことは間違いありません。そのため、私はこれからもカメラを持って外に出かけ、自分の視点を写真に記録し続けることでしょう。

 

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